シンガポールにいるうちに🌴

2015年8月~2018年4月 大好きな東南アジア生活の記録

    

シンガポールからの脱出まであと2日~言語や文化の違いはあまり関係ないのかもしれない~

昨晩、疲れ果てた私は一人で休むために、同僚とのカラオケに行く旦那をとっととホテルから追い出し、ベッドでじっと横になっていた。すると毎週言語交換をしている中国女子のシャンシャンからSkypeでメッセージが来た。『今週の土曜は都合が悪いかもしれないから、明日だったら話せますよ。でもあなたは日本への引っ越しで忙しいかもしれないわね』『親切な申し出ありがとう。そうなんです、こちらは今ちょっとしたカオスです。私は疲れ果てました。日本に戻って落ち着いたら連絡しますね。あなたも試験が終盤を迎えるんでしょう?頑張ってね』『他の国へ引っ越すのはとても大変なことよ。ゆっくりやってください』彼女も中国からアメリカへ引っ越ししているので、その大変さを知っている。そして私はこう返した。『私は異国に住むことがどれだけストレスなのか知っています。うまくストレス発散してください』おやすみと言い合ってチャットを終えた。

今日シンガポールはきれいに晴れた。昨日疲れ果てて八つ当たりしたことを旦那にお詫び申し上げて、一緒に朝食を取りに行った。中国語、英語、マレー語など色んな言語が飛び交う中で朝食を取りながら、ふと思う。人と交流をするのに、特にもう言語や出身国の違いは障害にはならないな。ある程度国民性みたいなものがその人を構成はしていても一個人としての本質はひとりひとり違うので、結局のところ言語や文化の違いを超えて、その人自身がどういう人なのかを知ることが重要なのだと思う。

この三年間色々な外国人と交流をしてきて思うのだけれど、広く見ればみな人間という同じ生き物で、ただ単に使う言語や習慣が違うだけだと今は感じる。多少の(いや、結構違う時もある)文化の違いに驚かされることはあっても、その人自身がどういう人なのかは言語や文化の違いを超えたところで理解することができる。中国女子に「リスニング力が全然進歩しないわね!」と直球で言われて『ヒー!!』とはなっても、私のつたない中国語の練習に付き合ってくれる時点で大変親切な子だと分かる。直球に多々ひっくり返りそうになったシンガポール女子も、私が落ち込んでいたり困難な時はいつも話を聞いてくれるなどし、根は親切で優しいことが感じ取れる。私は言語や文化の違いとその人の本質は別物だと考えるようになった。ただやはりその人の人となりを知るには、ある程度のレベルの何らかの共通言語が必要になってくる。そうでないとお互いを分かり合えない。f:id:Nisshi:20180428122238j:plain

朝食から部屋に戻り、昨日の夜シャンシャンとのやり取りの後に書いた中国語日記を開くと、こう残されていた。『シャンシャンや中国語の先生など、私の中国語習得を助けてくれる人達の期待に応えたい。そして今英語でコミュニケーションを取っている全ての友人とコミュニケーションを取り続けられるよう、少なくとも英語の能力を失うことはできない』