シンガポールにいるうちに🌴

2015年8月~2018年4月 大好きな東南アジア生活の記録

シンガポールからの脱出まであと4日

約三年間住んだシンガポールを出ていくための荷造りをする。去年ここに引っ越した時は全てを運んだので相当疲れたが、今回は必要最小限の物だけ日本へ持って行くので少し楽かもしれない。それにほとんどのものは捨てていく。

色んな事がここ数日間で終った。まずシンガポールのお勧めスポットを書くライター。探せばあるのかもしれないが、シンガポールは小さな国故もう書き尽くしてしまった。私は店や物についてではなく、自分がどこかへ行って何かしらに感動したり衝撃を受けて『他の人にも知ってほしい!』と思った体験を書いていた。しかしそんなにしょっちゅうしょっちゅう目新しいことはもう起きない。これくらいが辞め時だったように思う。ただ書くこと自体は楽しかったので次は日本国内の行ってみたいところへ行き、何らかの形でライターみたいなことができればいいなと思う。特に日本の伝統文化や伝統工芸品などに触れる旅を次はしたい。

(いつも窓から雨が降るのを眺めていました)

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そして約一年間日本語を教えていた、アメリカに住む一番長い生徒さんの授業が終わった。普通に今まで通り会話をし、不自然な日本語を直し、最後にお礼を言った。「私のレッスンを長い間受けてくれて、ありがとうございました。この一年間、あなたは大変努力されすごく流暢になりました。」そしてこう付け加えた。「もし私と話したいと思うことがあったら、連絡ください」「LINEのID聞いてもいいですか?」「いいですよ。たまにこうしてお話ししましょう!」「はい!また日本で会いましょう!」”~ましょう”を年上に使わないようにと言っただろうが(笑)まぁいいや。そして生徒さんが私に言う。「もし日本語をまた教える場合は言ってください」ボランティアや外国人との交流の一環として日本語を教えることはあっても、もう今のようにオンラインで定期的には教えることはやめることにしたんです。でもこれから友人として雑談できるなら、いつでもウェルカムですよ、と心の中で思う。私が中国語の先生としたのと同じように、自分の日本語の一人の生徒さんと今後は一個人として異文化交流をしていくことになりそうだ。今思えば彼との出会いもまた不思議だった。日本やアメリカに住む日本語のTutorはたくさんいるはずなのに、なぜシンガポールに住んでいる私にコンタクトしたんだろう。それにどうやって見つけ出したんだろう。しかもタイミングが合い、第三国である日本で直接会ってレッスンをすることができたのもなんだか不思議だった。

(祇園祭の時期に会いましたね。また会いましょう)

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やりがいを感じてはいたが、私はなぜオンラインで日本語をもう教えないのか。まず一つは日本語という言語だけを教えることにフォーカスすると、私にとっては視野が狭くなりそうだと感じたことだった。言語の背景にある文化や習慣、価値観などもっと深いことを合わせて教えられたらいいのだけれど、実は私は日本のことを本当の意味で知らない。(茶道をしたこともないし、歌舞伎をみたこともない)なので、日本に帰ったら自分が知らない日本を実際に知りに行こうと思う。次にもう”生徒が入ってきては、去って行く”ということを経験したくなかった。すっぽかされたり、音信不通になったり。外国人が相手なので日本人とは感覚が違うのは承知の上でも、自分が粗雑に扱われているようで結構疲れてしまった。三つ目は、自分で選んだもののもう今のような自由すぎる生活をやめたいということ。毎日どこで何を誰とするのかを全部考えて決める。何でも好きなように出来る。でもやっているその全てのことを、いつでもやめることもできる。そうなってくると、私の生活はからっぽのような気がした。人間はないものを求める生き物だと、つくづく思う。

残すは、荷造りといくらかのめんどくさい手続きのみ。そして土曜日には最後のイベントである一番仲の良かったシンガポール女子との飲みが控えている。シンガポールを出るまでどうか体調が持ちますように。