シンガポールにいるうちに🌴

2015年8月~2018年4月 大好きな東南アジア生活の記録

    

シンガポールの学校で日本語を教えて思うこと(終わって編)

昨日がシンガポールの学校で教える最後の日本語の授業だった。これは学校の後期セメスターが終わることと、恐らく次のセメスターに私はシンガポールにいないと思われるため最後の授業になる可能性が高い。去年の10月に始まり色んなことに戸惑いながらも、あっという間だった。全ての授業を終えた今、自分が何を思うのかここに残す。

まずとても難しかったが、楽しかった。自分が日本語を教えそれを生徒が習得しできるようになっていくのを見るのはとても楽しいし、誰かが冗談を言ってみんなで笑ったり、生徒一人一人との何気ない会話もまた楽しいものだった。(日本食屋でバイトをしている子が「おつかれさま!」といっていつも帰って行った)どんな授業をすればいいのか悩むことも多かったが、生徒さんの笑顔や一生懸命勉強している姿に励まされた。

次にこの教えるという職業は、自分が誰の何の役に立っているのかが分かりやすく、やりがいがあった。会社勤めの頃は間接部門で働いていたため、自分のしている仕事が何の役に立っているのか分からないことも多く、生活費を稼ぐことと自分のキャリアアップ以外のモチベーションはなかった。しかし今回した日本語教師は、多少のアドミン業務を除けば自分がしている全ての業務が、生徒に日本語を分かりやすく教えるためであり、無駄がなくシンプルでよかった。それに今回シンガポールで日本語を教えている限りでは、自分が誰かから搾取されることも自分が誰かを搾取することもなく、自分が人に何かを与えることで金を稼げたのもいいことだった。これはもともと私がシンガポールで会社勤めを辞めた時に目指したものだった。

その他にもいくつかラッキーなことがあった。シンガポール人が真面目で勉強熱心なことや英語で教えられたこと。もしお互いの共通言語がなく日本語だけで教えていたら、このように生徒と距離を縮めることは難しかったように思う。それに英語を使うと生徒を褒めやすい。日本はあまり褒める習慣がないので、日本語を使うと褒めづらい。昨日「I am so proud of you, everyone!」と言ってみながんばったことを褒めたが、これを日本語で言うと「みなさんを誇りに思います(?)」のようになり何だか胡散臭い。そしてテキストやいくつかの進行具合を除いては、学校側が自由にやり方を全て任せてくれたことも大きかった。もし細かく色々とやり方を管理されたら、性に合わなくて辞めたかもしれない。しかし私にはグループレッスンの経験がないにもかかわらず、このように全てを任せられるモジュールリーダーの懐は大変深いと思う。

私が日本を離れる前に会社で受けたアセスメントには、こう書かれていた。『物事の筋道を重視する方だが、人の気持ちを思いやる姿勢も必要である』私はこの教えるという職業についたことで、前に比べて少しは人に寛大になることができたように思う。自分が英語の習得に苦労した分生徒の気持ちがよく分かるのもあり、どうすれば生徒にとって分かりやすく説明できるか、どうすれば生徒が上達するか、どうすれが生徒が楽しく学べるかなどを考え続け、できないからといって叱ったりすることもなく一緒にどうすればできるかを考えて行った。グループレッスンの経験がゼロだったように、自分は生徒に教えながらも生徒から教えることについて学び、一緒に成長していったのだと思う。 

昨日授業の最後にある生徒さんがみんなで写真を撮ろうと言ってくれ、記念写真を残すことができた。その写真と、ある生徒さんが「コレ、おみやげ」と言ってくれたお守りを見ながら思う。もしまだシンガポールにいたら、学校でまた日本語を教えることを続けたい。多分どれだけ場数を踏んでもきっと慣れることなんてなくて、毎回悩みながらやっていくのだろうけど、それを超える楽しさややりがいがあると今は思う。

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