シンガポールにいるうちに🌴

大好きな東南アジア生活の記録

    

職業による変化?

一日中雨で外に出れないので、雨降りの外を見ながら物を考えることにした。シンガポールのとある学校で日本語を教え出して、約一カ月が経つ。20人いる生徒のキャラクターは様々で、私自身がフレンドリーに生徒に接していることもあるが、幾人かの生徒は私を多分先生とは思っていない。例えばある生徒と日本語だとこんな感じのやり取りがあった。「先生(一応、先生と呼ばせている)、この宿題やろうとしたけど、全然わからなかったよ」「???だって、そこまだ習ってへんからなぁ」「!!前にここやってこいって、ゆってたじゃん!」「いや、ゆーてへんよ」「なんだよー!!時間の無駄じゃねーかよー!!」「時間の無駄ちゃうやん。ひらがな読む練習になったやん」それに私の英語が訳の分からないことになると「え?何?もっかいゆって?」と普通に言われ『わたしゃあんたの友達かえ?』と思うことがある。まぁ、訳の分からん英語を話すこちらが悪いのですが・・・。

(雨で写真がないので、意味のないショットをお楽しみください)

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会社で働いていた頃は、今のように寛大ではなかった。常に笑顔で温かく生徒に接したいと思ったり、うまくできなくても大丈夫!と励ませたり、できない場合はどうすればできるようになるかを考えたり、できた時には大袈裟に褒めたり、多少コラー!!と思うことがあっても大目に見ることができるようになったり・・・。これらは日本語を教えるということをし出してから、身についていったものだった。会社で働いていた時は、いかに自分の仕事を効率よくスピーディーに人の尻を叩いて進めるかばかりを考えていたし、人に物を教えるのも苦手で、できていない点を鋭く指摘するのは得意だったが、どうしたらその子ができるようになるかまで指導しなかった。

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それが今のように変わったのは、シンガポールに来てからの一連の色んな出来事によって自分がちょっとは成長したからなのか、それとも『どんな仕事でもプロフェッショナルにやる』という自分の仕事に対する信念からくるものなのか。それとも「会社勤め=商売であり競争、教育=競争じゃない」から来るのだろうか。分からない・・・。ただ一つ明らかなのは自分が英語を学ぶのに苦労した分、生徒の気持ちがよく分かるということだった。日本語ならきちんと言える意見を持ち合わせているのに、英語になるとそれがうまく表現できず、なんだか自分が何の意見も持っていない軽い人間のように思えて情けなかったり、みんなの話していることが分からず疎外感を感じたり、なかなか上達しない時はもう勉強するのを止めてしまおうかなと思ったり。他言語を学ぶ楽しさもしんどさも自分が知っているからこそ、生徒と同じ目線に立って寛大になれるのかもしれない。あと英語で話しているからというところも大きい。日本語ほど丁寧さを気にせずに済み、自分よりも15歳くらい年下の子からタメ口みたいな英語を話されてもあまり気にならない。これが日本語だったら「ちゃんと敬語使わんかい!」ときっとなる。

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『なんかインドへ行くと、自分が何もかもに寛大になれるのに似てるなぁ』と思う。日本に帰って会社勤めをすると、また前のような攻撃的な性格に戻るのだろうか・・・。複合的な要因なんだろうけど、どうしてこういう風に変われたのか客観的にぜひ知りたい。