シンガポールにいるうちに🌴

大好きな東南アジア生活の記録

    

ひとつの終わりと、新たな始まり

去年11月から受講し出した日本語教師養成講座が修了し、何かの縁あってとあるシンガポールの学校の日本語講師になった。しかもひとクラス20人という大所帯の。そしてとある授業で”私はこれを一生忘れない”と思う出来事があったので、ここに残しておくことにした。

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ビギナーなのでまずは自己紹介の簡単なフレーズから教える。名前、出身国、仕事、そして数字を覚えることも兼ねて、電話番号を聞く練習をした。「教室の中で少なくとも5人の電話番号を日本語で聞いてくださーい!」シンガポール人の学生は少しシャイ(といっても日本の学生よりは積極的)だったので、教室内を動き回ってお互いの電話番号なんか聞き合うのかね?と少し心配していた。が、始めはもじもじしていた学生達も途中から楽しくなってきたようで、いつまでたっても終わらなくなり「授業を終わるから一旦席に戻ってー!授業のあとに交換してー!(汗)」と止めなければならなくなってしまった(笑)

この時、みんなが日本語を使って楽しそうにお互いの電話番号を聞き合ったリ、打ち解けていく様子を見て、なんだかとても感動した・・・。そして『言語はこのためにあるのだ』と思った。人によって他言語を学ぶ目的はそれぞれだけれど、何かの言語を完璧に話すことがゴールではなく、言語を使って人と分かり合うことが重要なのだ。それに彼らは基本的に英語ともう一つ自分の民族の言語がペラペラなはずであり、その言語を使って電話番号を聞くこともできるのに、わざわざ日本語を使って聞いている。正直、日本語を勉強しても日本でしか通じないし、シンガポールにいる限り日本語を使う機会はほとんどない。中国語やスペイン語などのように数か国で役に立つという類の物でもない。にも関わらず、こんなにたくさんの人が我々の言語を学びたいと思ってくれること自体がとても嬉しかった。この時の光景を私はきっと一生忘れない。

もう一つ感じたのは、”授業は生き物”ということだった。その日の色んな要素によって何かが変わり、自分が計画していたように必ず進まない。ある日は思ったよりも早く終わってしまったり、ある日はえらく長くなってしまったり、生徒の反応がいまいちだったりと、都度状況に応じて臨機応変に何かを変えなければならなかった。この日も前半が思ったより長くなってしまい、考えていたことの6割くらいをガラッと途中で変えた。しかし最後は楽しく授業を終えることができたので、変えた方がむしろよかったのかもしれない。

英会話でJimさんにこの話をしたら「それが普通ですよ。その話を聞いても何も驚きませんよ」と微笑まれた。そしてなんだか旅と同じだと思った。旅にハプニングはつきもので、私は通常旅行をする時は細かく旅程を決めない。やりたいことと大まかな行き方だけを調べておき、あとは現地に行って考えたり何か面白いことが起こるのを待って行先を決めた。授業も同じで、(もちろん十分な準備はするが)あまり細かく考えすぎても意味がない気がした。いくつかの選択肢を持っておいて、あとは出たとこ勝負をするものなのかもしれない。

『授業や旅に関わらず、何もかもが生き物なのかも?』とちょっと思う。同じものを違うタイミングで選んだとしても、今と全く同じ結果にはならないはず。そう考えたら、今していることの全てがなんだか貴重で、二度と来ないならその一瞬一瞬を楽しまないと!と改めて思った。