シンガポールにいるうちに🌴

大好きな東南アジア生活の記録

    

6/9(木)ラマユルのジャニーズ級のお坊さん

今朝は本当に眠かった・・・昨日寒くて腹巻をし、お腹と背中にホッカイロを貼り、冬用のパジャマの上にフリースを着て、ソックスを履き、ストールで顔を覆って寝たが、夜中に暑くなり一つづつ脱いでいくことになり、眠れなかった。

眠たいまま9時にチェックアウトをしたが、昨日から今朝チェックアウトする時もまだ停電したままだった。昨日の夕方「これはまさかずっと電気が使えないのでは・・・」と本当に焦った。暗いし、寒し、シャワーも浴びれないし(水しか出ないし、ドライヤーで髪を乾かせないと風邪を引くし)・・・。気持ちを盛り上げようと、スタンドバイミーの曲をiphoneでかけたら、一番初めの歌詞が「夜がきて辺りは暗くなり、月だけが我々が見えるライトだ」のような感じで始まり、私が今晩まさにこうなるやないか!!と思い、その後の歌詞では「僕は泣かない」とあるが、私は泣きそうになった。この時私は、このようなインフラの問題が全くないシンガポールを、これからシンガポール様と呼ぶことに決めた。

今日はお寺を3か所周る。一番初めに行ったお寺はちょうど一番偉いお坊さんが来られるため、村人たちはラダックの伝統衣装を纏い、お坊さんたちも正装し、今か今かと待っていた。私たちも寺の中はさっと見て、白い布を持ち(よくぞお越し下さいましたの意味らしい)お坊さんが来るのを外で待った。

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レーのTV局も来ており、まるでジャニーズの誰かがくるかのような騒ぎになっている。ほどなくして先ほど寺の中に飾られていた写真の一番えらいお坊さんが車から降りてこられ、深々とみな頭を下げ、お坊さんはオレンジの傘を差されながら寺の中へ入って行った。私は村の一大イベントに出くわすことができ、シンプル大賞No.1のホテルに泊まってよかったと、この時は思った。

しかし日本で、例えば高野山で一番偉いお坊さんが来られるからといって、村人たちやTV局がこうなることはないような・・・。チベット仏教がいかに皆さんの生活の一部として、それも大事なものとされているのかが、よくわかった。

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そして、アプリコットで有名な村にある民家(ヤンペルさんのお知り合い)を訪問し、おうちを見せて頂いた。建物は大きく1階のリビングが広く、ここでもチャイを頂く。ラダックでは3世代が一緒に住むようで(ブータンも、ベトナムもラオスもそうだった)結婚式もお葬式もおうちで取り行い、それ以外にも村人や親戚が訪ねてきた時のためにとたくさん部屋を作るが、普段はほとんど使わず皆リビングにいるらしい。ちなみに2階に部屋が5部屋くらいあった。

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「ジュレー(ありがとう)」と言っておうちを後にし、次のお寺へ向かう。ちなみに、おはよう、こんにちは、こんばんわ、ありがとう、さよならも全部ジュレーというらしい。(食べ物を勧められて断る時も、「ジュレジュレ!!」と言っていた)

次にアルチというところにある世界遺産のお寺へ行く。ここの寺のペインティングは非常に古く、現在はそれを修復したり、同じものを作る技術がもうないそうだ。(残念ながら寺の中の写真は撮れなかった)

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そしてランチをとる。眠くて胃の調子がよくないので、本当はお茶づけとかざるそばとか野菜を食べたいのだが、やはりメニューには北インドカレーとかチベッタンヌードルが並ぶ。またチベッタンヌードルを頼もうとするとヤンペルさんが「大丈夫ですか、毎日チベッタンヌードルで・・・」と心配された。確かに昨日も食べたな。多分ネパールから換算すると5食目くらいになるので、さすがに野菜のビリヤ二(インド風カレー炊き込みご飯)にした。

ランチ中に「ラダックの方がチベットよりもチベットらしい。と本で見たのですが、本当ですか?」とヤンペルさんに聞くと「チベットにあった古いお寺は中国に破壊されてしまいました。今チベットへ行っても、中国の軍隊が銃を構えて常に目を光らせており、ラダックのように自由に見るのは難しいみたいです。あと、ダライラマの写真を公に飾っていると、刑務所行きです」チベットは、ラダックのように平和ではないようだ。インド政府はラダックのチベット仏教の古い寺の修復や保全活動をきちんとしている。

最後のお寺は、近くの村でお葬式がありお坊さんが出払っていたため、中を見ることができなかった。ただ、外にあるペインティングの意味について説明してもらった。これはブータンでも聞いたが、あの時は右から左だったが今は少しわかる。

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「チベッタン仏教では、人は死んでも魂は残り、輪廻転生を繰り返すと考えられています。この絵がそうです。人生は幸運と不幸の二つに分けられ(上と下)、さらにそれぞれ3つづつに分かれます。上にある3つは、一番左は幸せと苦労が両方ある人生、真ん中は何もしなくても幸せが手に入る人生、一番右は戦って幸せを勝ち取る人生。下にある3つは、一番左は飢餓に苦しむ、真ん中は地獄に落ちる、一番右は動物になって常に食物連鎖の危険と隣り合わせです」なるほど。

「一番いい人生は上の一番左の幸福と苦労が両方ある人生です。真ん中は、死ぬ前に何もしなくても手に入った幸せのことなど忘れてしまい、人生が空っぽだったことを後悔します」確かに、何でも簡単に手に入ってしまったら、面白くないですよね。

「そして、真ん中にある絵を見てください。豚は無関心を、魚は欲望を、蛇は怒りを意味します。これら三つがなくなった時、ブッダのように極楽浄土へ行くことができ何かに生まれ変わることがなくなります。つまり苦しみから逃れられるのです」この絵は、ただ単にきれいなペインティングではなく、このような意味があり、お坊さんや参拝者にブッダの教えを忘れさせないよう描かれているそうだ。

このお寺の広場では、冬にお坊さんが仮面をかぶり踊るお祭りが開かれる。別のラダックの場所で夏にそのお祭りがあるとブータンで聞いていたので、私も見てみたいなーと思っていたが、ラダックの地元の方の心境は複雑なようだった。「寺は村人たちによって支えられており、祭りを通じてお坊さんは村人へ仏教の教えを伝えたり、村人たちの健康を祈ったりするのです。一方、近年は世界中から観光客がきて、椅子に座ってこの祭りを見ています。村人たちは見るスペースすらないのです」

これを聞いて、単にキレイとか珍しいなどというだけで、物事を見てはいけないな。と思った。きっとこの話を聞いてもなお私が祭りを見に行くならば、椅子には座らず地元の方の邪魔にならないようにするだろう。仏教の教えしかり、異国を旅するにあたり色々と勉強になる一日だった。

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