シンガポールにいるうちに🌴

2015年8月~2018年4月 大好きな東南アジア生活の記録

    

シンガポールで暮らすことになった自分へ送るアドバイス ~その5~

⑧今のことだけ考えてください

シンガポールにいる間は、シンガポールにいる”現在”にフォーカスしてほしい。日本にいた頃に自分が手にしていた”過去”のものを惜しんだり、日本に帰った後のよく分からない”未来”のことを思い悩むよりも。(しかしそうする気持ちは分かる)シンガポールに来てから特に思うけれど、先のことなどどうなるか分からない。今のような展開を来星時に計画していなかった。現時点でも自分が日本に帰ってから一カ月後、どこで何をしているのかよく分からない。そうなってくると、確実に分かっている今をいかに楽しむかを考えた方が精神衛生上いい。

シンガポールに来た頃は本帰国後のことばかり考えていた。日本に戻った後にキャリアアップできるようにと収入や役職等の見栄えはいいが、しかしあまり興味のない職種を選んだ。しかし金と役職がいくらあっても自由に旅行に行くこともできなければ、自分が実質的に役に立っていることを感じることができなかった。こんなにシンガポールの近くに色々な国があるというのに。一体私は何のために「今」を犠牲にしているのか。その「本帰国後」は数年先で、しかも日本に戻るかさえも分からないのに。(行先はいくらでもあった)それから会社は辞めた。そして三か月アジア各国を一人旅した。どうなるか分からない先のために今を犠牲にしたくなかった。

あと今も覚えている印象深いアドバイスがある。これは私が日本で失ったものばかり(特に会社員としてのキャリア)を惜しんでいた時に、南インドのアーユルベーダ施設で出会った日本人女性に言われた言葉だった。彼女との出会いもまた私の行く末に大きな影響を与えたように思う。

”日本に置いてきた物は、今の自分を幸せにはしてくれない。”

”新しい自分にならないと!”

”キャリアを失ってなんかないじゃない。そこからまた積み重ねていけばいいじゃない。” 

(心が病むと、このアーユルベーダ施設に静養に行った)

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⑨自分にとっての価値や幸せが何かを知ってください

人が感じる価値や幸せの形はそれぞれで、時間の経過とともに変化してゆくものだと思う。他の人がやっていることが自分にとっては幸せとは限らないし、昔自分がやっていたことに今の自分が価値があるとはもう感じないこともある。私が日本にいた頃は会社に勤めてキャリアを積むことが自分にとっての価値だと思っていたのに対し、シンガポールに来てからは色んな国を可能な限り旅して見聞を広めることや新しい人に出会うこと、自分にとって面白く実質的に役に立てていると感じられる日本語教師やライターという職を価値としたように。

なので、定期的に今の自分にとって大切なのは何なのかを見直すといいかもしれない。心身共に健康な状態で(心身を病んでいると、物をまともに考えられない)時間の余裕がある時に、非日常的な場所で。私は南インドのケララで「豊かな人生が始まる シンプルリスト(ドミニック・ローホー著)」という本を使って、自分は何が好きで何が嫌いなのか、何を幸せと感じるのか、何が耐えがたいのか等を整理し、自分の軸みたいなものを知っていった。そしてその嗜好に合わせて、今のようなシンガポール生活を自然と作って行ったように思う。

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~続く~

一人の生徒さんとの別れ「関西に来てくださいね」

今日は一人の生徒さんとの最後の日本語レッスンだった。この生徒さんは去年5月から毎週レッスンを取り続けてくれた、二番目に長い生徒さん。日本へ行ってから、日本の文化をもっと理解したいと言語を学び出したそうだ。最後だったので私が外国人に日本語を教えたり、日本語を話す外国人と接する中で感じてきた、日本語の背景にある文化について説明することにした。多くの外国人がこれを理解していないので、日本語を流暢に話せても日本人とうまく交流できないのではないかと思う。「外国人は日本人と交流するのが難しいとよく感じるそうです。これはなぜだと思いますか?」「謙虚で物をストレートに言わないから?」「そうですね」私が感じる理由はいくつかあるが彼女はビギナーなので、とりあえず今回は以下の二点にしぼった。

①日本人は日本語の丁寧度にセンシティブ

正直よく知りもしないもしくは年下の外国人から、タメ口の日本語で話しかけ続けられると私は最終的に耐えられなくなる。我々は通常日本社会の中で年上やあまり親しくない人などには敬語を使うように教育されている。つまり失礼な日本語で話しかけられ続けること自体に慣れていない。そして不丁寧な日本語で話され続けると、自然と「失礼な奴」と感じてしまう。そしてそれは時として外国人との交流を難しいものにする。片言の日本語(コンニチハ、オハヨなど)を話す場合には感じないが、ある程度流暢に話せるようになってくると、不丁寧な表現を使われた時に「失礼な奴」と感じてくるので注意が必要。例えば10歳くらい年下の外国人に「忙しそうね。いつ暇?」とか言われた時に。少なくとも「です、ます調」で話すことは忘れてほしくない。

②日本人は思っていることをストレートに言わない

外国人に物をストレートに言われて、びっくりすることが多々あった。そしてそれが文化の違いだとは考えられずに、「失礼な奴!」と思って交流を閉ざしてしまうパターンもある。それに日本人は中国人とは違って相手に間違いをあまり指摘しない。そして何も言わずに去っていく。(相手の間違いを指摘するのは失礼にあたる。という日本文化の一環と思われる)中国人だと間違いをそのまま指摘してくる。中国語を間違うと「違う!」と何のオブラートにも包まずに指摘し、中国語のリスニング力に改善が見られないと「全然進歩してないわね!」と指摘してくる。この違いを覚えておいてもらうと、日本人とのコミュニケーションが少し円滑になる。じゃあどういうレベルが日本人にとってストレートすぎると感じるのかは、実際に日本人と交流をして学んでいってもらうのが一番いいと思います。体験に勝るものはありませんから。

(雨が止むまでCafeで待つ)

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私はシンガポールで外国人に日本語を教え、また一人の日本人として外国人と交流をしてきて、両方の気持ちを理解することができるようになった。外国人は日本に興味があって、一生懸命日本語を学んでいる。そして習得した日本語で日本人と交流しようとしたのに、なぜだかうまくいかない。落ち込む。日本人は何を考えているのか分からないと思う。日本人はしばしば外国人が持つ異なるコミュニケーション法や習慣、使う日本語などに対して、日本のそれと比較し「失礼」とか「なんでそうなるんだ」と困惑して距離を置く。理由を相手に説明しないまま。これはとてももったいないことだと思う。その人が嫌いとかではなく、ただ単に文化の違いのことが多い。そして日本語を教える場合は、単に外国人に日本語を話させるだけではなく、このような文化や習慣の違いなども伝え、実質的にその言語を使ってうまく日本人と交流ができるようにさせることができなければ意味がない。

(ビールを飲みながら待つ)

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レッスンの終わりに簡単なフィードバックをする。「あなたは要点を早くつかんで、いつもすぐに新しい文型を習得していくことができました。すばらしいです。基本的な文法は既に身についていますから、新しい文法に加えて単語ももっと増やすといいと思います。単語が分からないと文章を作れないし、聞き取れませんので。単語はアプリやウェブでいくらでもありますから、チェックしてみてください。あとスムーズに話せない!と心配しなくてもいいです。それは自然なことです。話せば慣れていきますから。何か質問があればいつでも連絡下さい。ぜひ関西に来てください」「I will」お互い笑顔で「さようなら!」と言っていつも通りレッスンを終えた。

彼女は英語と中国語を話したので、私が英語で何というか分からない時に中国語で意思疎通が取れることがあり面白かった。また日本語に対して中国語ではこう言うんだよ。と教えてくれたりして、ちょっとした言語交換のようなこともしてくれた。彼女と私はほぼ同じスピードでお互いの言語を学んでいる。いつか日本で日本酒を飲みながら、お互い日本語と中国語で話してみたいものですね。再见!

シンガポールに暮らすことになった自分へ送るアドバイス ~その4~

⑥自分でどうしようもないことは、受け流してください

シンガポール周辺国を三か月一人旅した後に会社勤めに戻ろうとしたが、長いこと内定をもらえなかった。あと実はローカル学校で日本語教師をすることも、始めは内定を取り消された。(生徒が思ったよりも少なかったとかで)どちらも自分ではどうしようもないことだった。

そういう時はしょうがないと諦めて、他のことを楽しむしかない。(私のせいじゃない)いつもこういう時に思い出すのは、インドのダージリンを旅した時だった。あの時電気も水も止まれば車も壊れ、さらに土砂崩れで立ち往生になるなどありとあらゆる問題が発生したが、そこで「なんでなんだ?どうすればいいんだ!」などと悩んだり怒ったところで実質的に何も解決できなかった。ただ仏のように全てを受け入れて待つしかない。それと同じことだと思う。

(これはダージリン)

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(ダージリンはどこにいても、この美しい山が見えた)

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もしまた自分でどうしようもないことを受け流せなくなったら、インドへ行こうと思う。ダージリンの旅のように、ありとあらゆる問題が起こるような過酷な旅をして仏のような境地に至りたい。(次はタワンやアッサムあたりへ行きたい)場所や旅のスタイルにもよるが、インドへ行くと全てがコントロール不能になり色んなことを受け流していかないと神経がもたない。そして最終的に日常生活で抱いている問題などどうでもよくなってしまう。インドを旅することは私にとっては一種のセラピーなのだ。

 (過酷な旅は北インドラダック。インド人も死ぬまでには一回は行きたいという場所)

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(なんかもう疲れた・・・と思ったら、南インドのケララでのんびりアーユルベーダを)

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(女子一人でも旅がしやすいのは、インドの避暑地マナリ)

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⑦やってみてから決めてください

私はもともと「やってみないと分からない」という性格なのでラッキーだった。色んな事にトライしいくつかは失敗してえらい目に合い、いくつかは面白くて続いている。例えば日本語を教えること、中国語を勉強すること、文章を書くことなどがそうだった。できるかどうか分からなくても、もし少しの希望があるのならやってみてから決めてほしい。自分に何が向いているかなんて、それを実際にやるまでは分からない。私も日本語をうまく教えられるかなんて分からないまま、ある日突然教え始めた。でもやってみると意外と面白く、さらにうまく教えるために後から日本語教師養成講座を受けて今に至る。

何か新しいことにトライする時はいつも“失敗した場合の最悪の状況は何か”を考えて、やるかやらないかを決めていた。そうするとそんなに恐ろしい最悪の状況など思い浮かばないし、やってみてダメだったらやめればいいのだ。それに学ぶことが多いのは成功よりも失敗からの方が多いことだし・・・。

(ダイビングはしんどくてやめてしまった・・・。でも海の世界は静かで、陸にない種類のアドベンチャーがあることを知った)

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~続く~

シンガポールで暮らすことになった自分へ送るアドバイス ~その3~

⑤色んな人に出会って、一刻でも長く一緒に楽しく過ごしてください

私のシンガポール生活で最も重要だったのは人との出会いだった。色んな人と話すことで価値観が変わり、生活も充実していった。だから是非色んな人にたくさん会って、たくさん話してほしい。

例えばシンガポール周辺国を旅した時に出会った人達のおかげで、自分の考え方の根幹が変わった。特にブータン、ネパール、インドで出会ったガイドさん達から”幸せとは何か”や”人生で本当に大切なことは何なのか”ということを学んだ。

”ベッドは金で買えるが、睡眠を買うことはできない。時計は金で買えるが、時間を買うことはできない。幸せは自分の行いで作るものだよ。”(ブータン)

”人間は色んな悩みがあるのですが、お金がなくても自分の心がハッピーであることが人生で最も大切です。”(ネパール)

”幸せとは自分の生活に満足することです。幸せは考え方です。もっとこうだったらいいのに・・・とネガティブに考えていると、いつまでたっても幸せになれません。”(インド)

”「あなたの幸せは何ですか?」「人を助けることが自分の幸せです」””(インド)

またこの旅の道中、色んな人が私に無条件に親切にしてくれたことで、旅を終える頃には『自分のことばっかり考えていないで、他の人のために何かをしよう』と自分も思うようになっていた。

(ブータンのプナカ。これはもう竜宮城のように美しかった)

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シンガポールに戻った後はローカルのお友達ができていったのだけれど、これはもう楽しかった。自分が知らないローカルの食べ物や場所に連れて行ってもらえたり、日本との文化の違いなどを知ることができるし、特に私はシンガポール人や中国人と付き合う中で異文化に対する寛容性みたいなものを身につけて行ったように思う。例えば時間の感覚。だいたいみな約束の時間に15分くらい遅刻してくる。海外では15分以内の遅れは遅刻とみなさないようです。それからコミュニケーションがダイレクト。例えば「私、来週月曜~水曜が空いているから、一緒にランチできるよ」と急に言われた時。これは今だったら「あ、そう?じゃあ水曜にしよう!」となるが、当時は「???(誰もその日が空いているとは一言も言っていないが・・・)」とちょっとした混乱を招いた。他にも「いつもなんでおうちに招いてくれないの?と思ってた」とか「中国語のリスニング力が全然進歩してないわね。一体どんな勉強してんのよ」とか「実は2年前に離婚したんだ」などと初めて飲みに行った日に打ち明けられるなど、色々と「???」となることがあった。しかしこういう日本人同士では起こりえないことを「あ、そう~」と受け入れられる免疫を最終的には取得でき、それは今後も外国人と付き合う上で結構大切な感覚だと思う。忘れてはならないのは、私が「???」と思ったように相手も「???」となっているということ。お互いが違いを受け入れながら歩み寄れば、理解し合えると思う。

(シンガポール女子に連れて行ってもらったある日のランチ。「ギャー!!と」なったハーバルチキン)

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他にも出会いによって、思いもよらない展開になったことが多々あった。ある中国人女子に出会ったおかげで今の場所に引っ越ししようと決めた。そして彼女のおかげで、いつも温かく迎えてくれる手相占い師のTeoさんに出会うことになった。あるインド人がシンガポールのローカル学校の日本語教師の職を紹介してくれたおかげで、教壇に立てた。日本語を教えていた中華系の生徒さんの影響で自分も中国語を学び出し、中国本土まで茶を飲みに行ったなど。

ちなみに私はよくMeetup(何をするかが自分をつくる | Meetupのイベントに出て、ローカルの友達を作っていきました。シンガポール人はみな大変親切。ローカルでも日本人でも同じように接してくれるし、私が訳の分からない英語を話していてもじっと聞いて理解しようとしてくれた。(お店とかだと「はぁん?!」とか言われますが)シンガポールで一緒に過ごせる時間には限りがあるので、一刻でも長く友達と楽しく過ごしてほしい。

(この旅のMeetupイベントに出て、上述の中国人女子と後に大変仲良くなったシンガポール女子に出会った。この日のテーマは「ブータン&ネパール旅行の体験をシェアしよう」だった。あぁ、懐かしい!本当にこの日のイベントに出てよかったなぁ)

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チャイナタウンのTeoさんと中国語の先生とのお別れ

今日は大変お世話になったTeoさんとのお別れだった。色んな人によくして頂いたが、特にTeoさん無くして私の充実したシンガポール生活はありえなかった。

12時にTeoさんのお店に行く。「お久しぶりです!また会えてうれしいです!」「まぁ、どうぞ。まずかけてください」私はきれいにラッピングされた和菓子の手土産を渡した。Teoさんからは赤色にゴールドで「福」と書かれた美しい巾着に入った贈り物を頂いた。少し小話をして、一番始めに一緒にディナーを取った近くの韓国料理屋へ行く。「そんなにたくさん食べられませんので」と事前に言ったが、いつも通りたくさん注文してくれた(笑)「ビールを飲みますか?」「そうですね、今日は特別ですから頂きます」Teoさんはビールに氷を入れる。私はお腹を壊すといけないので、常温のぬるいビールを飲む。「干杯!(乾杯)」

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「あなたが日本に帰ってしまうのは悲しいです。寂しくなります」「私もです。日本に帰ることが決まってからチャイナタウンを歩いていた時、とても悲しくなりました。チャイナタウンはTeoさんとの思い出でいっぱいです」二人で一緒に過ごした時を回想した。一番始めにここに来た時あそこに座ったねとか。もう閉まってしまったけどあそこの点心へ行ったねとか、ボボチャチャ食べたねとか。「大阪に日本人と結婚したシンガポール人がいるから、その人に繋いであげよう。もし大阪の近くに住んで何か困ったことがあったら、その人に頼りなさい」どこの誰だか存じ上げませんが、ありがとうございます。シンガポール人に関西で会えるというだけで、なんだかほっとします。きっとシングリッシュが恋しくなるはず。

それから何かの話から陰と陽の話になった。「物事は全て表裏一体です。何でもポジティブな面もあればネガティブな面もあります。あなたにとっては簡単でも私にとっては難しい、もしくは逆の場合もあります。みな考え方や捉え方が違うので『これはこういうものだ!』と決めることはできません。それを覚えておきなさい」「その通りです。忘れないようにします」私が親交を持っているシンガポール人は共通してみなこの考え方を持っていた。

ところで我々の会話は99.5%が英語だが、少しだけ中国語でも話すことができた。短い文章で単語さえ知っていれば話すことはできるのだけれど、いかんせん言っていることがまだ聞き取れない。少ししか話せなくても中国語を話すと喜んでくれた。「あなたの中国語はなかなかいいですよ。前回よりも上達しています」実は前にタクシーの運ちゃんも褒めてくれ、また毎週話している中国女子にも一応は通じている。これは北出身の中国語の先生が、毎回口を酸っぱくして発音を何度も何度も正してくれたおかげだと思われる。

(お手拭きにお互いの言語を書いてコミュニケーションを取ったり)

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「ぜひ日本に来てください。私が色んな所に案内します!」「大阪にいるシンガポール人もいつも来い来いといってくれます。いつか行きますとは行っていたけれど、あなたもそこにいるなら行きましょう」もしTeoさんや他のみんなが日本に来てくれると、本当に嬉しい!

(記念撮影)

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その後、私が前にTeoさんが連れて行ってくれた店でボボチャチャを食べられなくなったと話すと、その店の横にボボチャチャがないか見に行こうと言ってくれた。そしてあった!

こちら温かいボボチャチャ。

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こちら冷たいボボチャチャ。

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おいしいのだけれど、やはりDessert Hutで食べたものがダントツでおいしかった。ココナッツミルクの濃さ、粘土、温度、スイートポテトやタロイモの硬さや甘さ、タピオカの量など全てがパーフェクトだった。帰りはいつも通りMRTまで見送ってくれる。そして私はお礼を言う。「本当に色々とどうもありがとうございました。Teoさんに会えないと寂しくなります。Teoさんが私のシンガポール生活をハッピーなものにしてくれました。また日本かシンガポールかでお会いできるのを楽しみにしています。メールします!」Teoさんは『分かっているから、もうそれ以上何も言わなくてもいいよ』という感じで口数少なく温かく聞いてくれていた。最後に我々はハグをして別れ、私はエスカレーターに乗ってTeoさんが見えなくなるまで手を振った。Teoさんはシンガポールで出会った人の中でも特別な存在だった。いつも温かく迎えてくれ、なんというか心の拠り所だった。なぜだか分からないが、Teoさんとの別れを思うといつも涙がこぼれた。みな同じように別れるのは悲しいはずなのに。多分他の人よりも、私の心の奥の深いところにTeoさんがいるのだと思う。

この足で通っていた中国語学校にテキストを買いに行く。「好久不见!」一カ月ぶりに中国語の先生と再会し握手をする。なんか柄にもなく優しい感じの笑顔で今日は迎えてくれるじゃないか。それに握手するなんて珍しいな。最後のレッスンの時でもしなかったのに。「日本に帰ったと思ってたよ」「帰って家を探してまた戻ってきて、次に帰るんです」「あーそー」SGD65を払い、Audioと解答は別途WhatsAppで送ってもらう。「この本はElementary Level全部のレッスンが入ってるから。次の”3”からがIntermidiate levelで、”3”を勉強し終えるとHSK 4級が受けられる」HSK 4級というのは、中国人とある程度流暢に話すことができるとされているレベル。「前に受けたHSK 3級の結果が、今週金曜日に分かると思います」「おぉ、ぜひ結果を教えてよ」話も早々に、彼は上の階に私は下の階に行くエレベーターに乗る。先に上の階へ行くエレベーターが来て、彼はさっさと乗り込んだ。「じゃあな!元気で」「再见!」短い挨拶を交わし、また握手をして別れた。あっさりした別れ(笑)きっと生徒が来ては去って行くことに、すごく慣れているんだろうな。彼のそういうあっさりしたところも好きだった。HSK 3級を受けた一年後(2019年3月)にHSK 4級に合格しますね。そしてあなたと流暢に話してみせます!

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MRTに乗りながらすごく幸せと思った。何人もこうして別れを惜しむ人がいて、最後に直接会ってたくさん話すこともできて。日本を出た時よりも、シンガポールを出る時の方がたくさんの人と別れを惜しんでいる気がする。日本に帰っても絶対にみんなとの親交を滞らせない。頼んだぞ!日本に帰った後の私!

シンガポールに暮らすことになった自分へ送るアドバイス ~その2~

③自分の意思で、好きなものを選んでください

最終的には自分で決断したものの、そもそも私がシンガポールに来たくて来たわけではないのでその時点で自分の意思に反していた。その分シンガポールに来た後は、可能な限り自分の意思で色んなことを選んだ。例えば会社勤めは途中で辞めて、元々シンガポールに来る前にしたいと思っていた長い一人旅に出た。始めは旦那が選んだ場所に住んでいたが、契約更新のタイミングで私が住みたいと思った場所へ引っ越しした。収入は良いが自分の興味のないオフィスワークよりも、金をそんなに稼げなくても自分が面白いと思える日本語教師とライター業を選んだ。シンガポール人やその他外国人とたくさん過ごした。

(ローカルの日常生活が垣間見られるエリアへ引っ越し、とても楽しかった)

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内容や種類を問わず、どんな小さなことでも可能な限り自分の意思で選ぶことが大切だと思う。そうでないと出発がそもそも自分の意思ではないので、その後もずっとなんかもう他人に自分の人生を操作されているような気になって、精神衛生上すごくよくない。大きな何かの流れでそうせざるを得なかったとしても、途中から自分の人生の舵を自分に取り戻したい。

④「こうでいけないといけない」ということは、何もない

日本だとどうも他人の目が気になって他の人と同じような行動をとりがちだけれど、特にシンガポールではそれを気にする必要がなかった。色んな国の人がおり人それぞれで、日本で言う普通や常識などない。(あるのは法律と罰金だけ)したがって、シンガポールでは大いに自由に過ごしてほしいと思う。派手なワンピースを着たっていいし、訳の分からないTシャツ+短パン+ビーサンで買い物に行ったっていい。

(あぁ、えらいこっちゃ。これは結構丈の短いワンピースだった。2016年のこと)

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それにシンガポールで送ることができる生活の種類にもいくつか選択肢がある。仕事をするなら①フルタイムの会社勤めもあるし、②パートタイムの会社勤めもあるし、③一つの組織に属さないフリーランスのような形もある。④何かを学びに学校(もしくはそのような機関)へ行くことだってできるし、それが最終的に職に繋がることもある。そういう意味では私は全部を経験したことになる。始めはフルタイムで会社勤めをした(①)。その後、写真の学校へ行ったり、通信教育で日本語教師養成講座を受講したり、中国語学校へ通った(④)。最終的には日本語をオンライン(③)とシンガポールのローカル学校で非常勤講師(②)として教え、ある日系旅行会社へシンガポールに関する記事を書いた(③)。

今やインターネットさえあれば場所を問わず仕事をすることができる。日本で言う普通〇〇するものなどという考えはちょっと置いておいて、自分に合ったシンガポール生活を自由に作ればいいと思う。ちなみに私はこちらのウェブサイトを参考に自分のスタイルを作って行った。

tatsumarutimes.com

あとシンガポールで職の紹介だけではなく、働き方そのものなどの相談に乗って頂けるところがあるようです。(以下、34ページご参照)実体験者に直接お話しを聞けると心強いですよね。

http://www.parti.com.sg/pdf/PARTI_2017_DEC.pdf

 

~続く~

シンガポールで暮らすことになった自分へ送るアドバイス ~その1~

自分の約三年間のシンガポール生活を遠巻きに見て、もしシンガポールに来たばかりの頃の自分にアドバイスができるとすれば、何を言うかを考えてみることにした。

①まず健康でいてください

私はシンガポールに来てから、割と健康を損ねた。不眠から始まり適応障害や帯状疱疹、過敏性腸症候群など日に日に症状が重いものに変わって行った。それも何の予兆もなく。

本当に健康を大事にしてほしい。不眠とその他いくつかの不調が完治しないまま、日本に帰ることになってしまった。日本にいた頃の全く健康だった状態に戻してほしい。そもそも健康でないと何もできない。日本語を教えることも、友達と何時間もおしゃべりすることも、過酷な旅をすることも、ちょっとそこのホーカーへ昼ご飯を食べに行くことさえも・・・。自分の価値は何かとかよく難しいことを考えていたけど、健康を著しく損ねてからそんなことはどうでもよくなってしまった。三食おいしいものを食べられてぐっすり眠ることができ(これさえ今は難しいのに!)、楽しくお話しできる友達がいる。それだけで実は結構幸せなことなのだ。

健康な時はあまり気づかないが、何かの拍子にいとも簡単に健康は損なわれてしまう。それに特に何をするでもなくただ異国に暮らしているというだけで、知らず知らずのうちにストレスを受けている。どうか健康にだけは気をつけてほしい。ブータンでドドさんが言っていた「ベッドは金で買えるが、睡眠は買えない=健康も金で買えない」を忘れないでほしい。

(ドドさんは『日本人は全てに完璧であろうとしすぎる』と言っていた)

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で、私は何に注意すれば健康を損ねずに済んだのかというと、後述の「⑩頑張りすぎないで・・・」に繋がる。

②仕事以外のことも広く探索してください

私のシンガポール生活を充実させたのは、仕事以外のものが多かったように思う。日本にいた頃は仕事ばかりしていて、たまの旅行を除いてはそれ以外にすることが分からなかった。(酒を飲むか、銭湯にいくか、買い物するくらいだった)しかし今だったら写真を撮りに外に出たり、中国語を勉強したり、まだ飲んでいない種類の紅茶や中国茶を味わったり(もしくは中国まで中国茶を飲みに行ったり)、シンガポール人や中国人の友達と定期的に話したりと何かと楽しいことが増えた。昔は人生の9割を仕事が占めていたようなものだったが、今は色んな物に分散されバランスがとれるようになった。何か一つが人生のウェイトのたくさん占めていると、それがうまくいかなくなった時に全部がダメに感じてしまう。実際はそんなことないのだけれど。

(スリランカで茶摘みをしました)

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ではどうしたらそんなに色んなものに興味を持つようになったのかというと、私の場合は旅だった。シンガポール周辺国を旅して色んなものを見て、色んな人に出会い、自分の持っている世界の小ささを知ったことがきっかけだった。

なので、来星時に「一刻も早く仕事につかないと!」と会社勤めを早々にしたけれど、そんなに焦らないでほしい。そんなに仕事仕事と思わないでほしい。それ以外にも色んな世界があり、仕事だけが人を成長させるわけではない。それから“日本で退職してから数か月以内に次の職を見つけないと、就職が難しくなる”と思い込んでいたけれど、そんなことなかった。能力さえあれば未経験だって、日本で仕事を辞めてから二年後でもシンガポールのローカル学校で日本語教師をすることだってできたのだから。

 

~続く~