シンガポールにいるうちに🌴

2015年8月~2018年4月 大好きな東南アジア生活の記録

    

限られたシンガポールの週末が終わっていく

二週間ぶりにNY在住の中国人女子とSkypeで話す。「好久不见!(久しぶり!)」実は先週の日曜の朝に話す予定だったのだけれど、すっぽかされた(笑)私がたまに風邪をひいたとか今回は日本に帰るからとかで日程を変更したので、彼女を混乱させた模様。ちなみに忘れていなかったとしても、約束していた時間に15分くらい遅れても謝られたことはない。しかし先週は30分経っても何の反応もなかったので『あぁ、多分忘れてるな』と分かった。その後、すっぽかしたことに気付いた彼女はえらく『すみません!!』と謝っていたのがなんか新鮮だった。こちらこそ、いつも訳の分からない中国語を話す日本人に付き合ってくれてすみません。と私は思う。わざわざ私に時間を割いてくれること自体がありがたいので、特に忘れられても『あぁ、忘れてるな』としか思わない。

1時間強中国人女子と話した後、イギリス人のJimさんと英会話をし買い物に行く。今週は大変お世話になった年上のシンガポール人にお会いするので、高島屋で何か手土産を買うことにした。日本人らしく和菓子をお渡ししたいけれどシンガポール人の口に合うのかが分からない。店員さんに聞いてみる。「すみません、シンガポール人はこの和菓子を一般的に食べられますか?」「えぇ、それはおいしいわよ」栗味のカステラのようなものは食べると。「これも食べますか?あなたはこれ好き?」と聞くと「No!!」と言われたのは、透明なゼリーみたいなのに小豆が入った見た目が美しい和菓子。中に桃が入ったゼリーの方がいいと言われたので、小箱に栗のカステラみたいなやつと桃のゼリーをいくつか箱に詰めてもらい、綺麗にラッピングしてもらった。あぁ、シンガポール人の店員さんは大切だなぁと思った。これが日本人だったら多分「No!!」とははっきり言わず、よく分からない曖昧な回答で困ったに違いない。

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そして中国語のテキストを買いに紀伊国屋へ行く。もし引き続きシンガポールで中国語のクラスを取っていたら、テキストがこのシリーズの「2」になるので自分で買って勉強することにした。ところがどうもWorkbookの答えが本についていないらしい。それだと問題を解いても答えが正しいかが分からないし、中国語のクラスに通っていた時は先生からPDFで解答を送ってもらっていたので、元データがどこにあるのかが分からない。しょうがないので中国語の先生に連絡をして、レッスンを受けなくても解答付きの本だけ買えないか聞いてみることにした。そうすれば、シンガポールを出る前にもう一回彼に会えることだし。

(この「2」がほしい)

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シンガポールで過ごせる限られた週末がまた一回終わっていく。そろそろシンガポールから日本へ持って行くものを決め、大切なものだけは自分で段ボールに詰めなければならない。それでも既に日本の生活が慌ただしく始まっている旦那に比べれば、ゆっくりシンガポール生活を終えることができる私はラッキーだった。シンガポール人の友達に会ってたくさん話し、日本語をぎりぎりまで教え、ライター業のシンガポールに関する記事をあと一つ書き、習った中国語をシンガポールで使いNY在住の中国人女子とも話す。このいつも普通にしていたシンガポール生活が、どれだけ自分にとって大切で貴重なものだったのかが終わりが近づくにつれてひしひしと感じられる。3月末に日本へ一時帰国をした時はシンガポールを去ることや、自分が一から作り上げた今の生活を失うことが受け入れられなかったが、時が経つのと共に受け入れられるようになっていった。それにもうそろそろ潮時だとも感じる。これ以上、シンガポールにいられない。

残り二週間、なんとか健康に過ごせますように。

チャイナタウンで知るボボチャチャの衝撃的事実

いつも通り中医学クリニックへ行き、鍼を打ってもらい薬をもらう。その足でChinatown complexのマカオ料理を食べに行く。「Hi」何回も通っているので、店のお兄さんと顔見知りになった。今回は前に食べたいと思っていた魚料理を食べたが、これがまたおいしかった。黒コショウの舌秒な味付けが素晴らしい。体調がもっとよければビールを飲んでいたことだろう。(でも今日も常温の豆乳を飲む)

(これはSGD12。白身の魚、なすび、ねぎ、玉ねぎなどが入っている)

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いつも食べる豆腐料理もかかせない。この豆腐は本当においしく、自家製とのこと。ふわっと柔らかくて、しかも豆腐を包んでいるやつ(これは厚揚げなのか?)から卵の味がする。この甘みのあるあんかけソースもまたおいしくて、ご飯にかけて食べると大変美味。「マカオ行ったらもっとおいしいってこと?行かなあかんな」と言いながら、旦那と汗をかきかき熱いものをむしゃむしゃ食べる。ご飯二杯も入れて全部でSGD21と普通のホーカーで食べるよりもかなり高いのだけれど(昨日Roasted duck riceをSGD3で食べた)、その価値は十分にあると思う。そして店は結構流行っている。一皿の量が割と多いので、二人で二つのおかずを頼んでちょうどいいくらいと思います。

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外に出ると、炎天下でフリマみたいなものが行われていた。

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基本的にガラクタしか見当たらない。

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いつも通り広場では、将棋のようなゲームにみな金を賭けて遊んでいた。

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People's Park Centreの二階のDessert Hutでボボチャチャを持ち帰りしようと店に行き、店員さんに注文すると「没有」と言われる。「没有?(まだ昼だぞ)」メニューを見るとなんとボボチャチャがなくなっているではないか。「只今天还是・・・(今日だけ?それとも・・・あれ?”ずっと”って何て言うんだ)」と聞くと、ずっとないというようなことを中国語で言われ、壁にある写真付きメニューを見るとボボチャチャを含むいくつかのデザートがNo more availableになっていた。これはかなりショックだった。私はここのボボチャチャが一番好きで、シンガポールで落ち込んだ時などはわざわざここにボボチャチャを食べに来ていたくらいだった。安定のおいしさだった。「しょうがないから自分で作るか。味は覚えているし」

ということで、ボボチャチャのレシピを調べて材料をFair priceで買った。このパンダンの葉はとてもいい香りがして、意味もなくずっと匂いを嗅いでしまう。ただタピオカを今日は手に入れることができず、また量りもないので買わなければならない。

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色んなシンガポール人が口を揃えて「ボボチャチャなんか、ココナッツミルクに芋とかタピオカ入れて煮たらすぐにできるよ!」と言っていたが、この動画を見る限り結構めんどくさそう。単純な料理ほど難しいものはないのだ。

www.youtube.com

さて私はDessert Hutで食べていたボボチャチャの味を再現できるか?!

Your next stepのキャッチアップは終わらない

2016年11月のMeetup「Your next step」でお互い出会ってから、今日も我々はいつも通りいつものお決まりのカフェでキャッチアップをする。これがシンガポールでFace to faceで話すのが最後ということを除いては。

「お久しぶりです~元気でしたか?」「元気だけど、そっちは大丈夫なの?」日本から帰ってから体調が悪くなったことを伝えていたので、その話題から入った。きっと本帰国を前にした色んな不安から不調が出たんだと思うと話すと「分かる。実は僕もベトナムからシンガポールに引っ越したんだ、最近」「え?!そうなの?!」彼の奥さんはベトナム人で一家はホーチミンに住み、彼はベトナムとシンガポールを行き来していた。「僕もシンガポールに戻ってから逆カルチャーショックみたいなものを感じているし、色んな環境の変化で始めは体調が悪くなった」「あなたはじゃあ、私がこれから日本に帰って体験することを既に体験されてるんですね。大変だったろうと思いますしこんなことを言うのはなんですが、同じ大変さを分かち合える相手が一人いて嬉しいです!」と言うと苦笑いされた。でもこれは本当に私にとっては心強かった。異国へ引っ越すことも住み慣れた異国から自分の国に戻ることの大変さも、経験した人でないと分からない。同じ経験をしている人とその大変さを分かち合うのは、新しい生活を始める上で大変重要なプロセスなのだ。

その後も我々はいつも通り色んな話をし、とりわけ以下の話題が興味深かった。

①言語とアイデンティティの関係

彼のお子さんはシンガポール人とベトナム人のハーフ。「子供さんは英語とベトナム語と中国語を話すんですか?」「いや、英語とベトナム語だけだよ。英語の方が今は流暢だね。でも将来ベトナムで暮らすかもしれないし、ベトナム語を話せないとね」「そうですか。私の中国語のクラスにシンガポール人と結婚して子供を産んだベトナム人がいたんですが、彼女の子供はベトナム語は話せないと言っていました。英語と中国語を話すみたいです」「それだとアイデンティティを失うだろ?もし君がアメリカで生まれて英語を流暢に話したとしても、アメリカ人は君のことを日本人として見る。そして君はやはり日本で住みたいと思っても、日本語ができないと日本社会でやっていけない」なるほど。私は日本語を教えている中華系アメリカ人の生徒さん(彼は日本人のクオーター)を思い出した。確かに彼はアメリカの文化で育てられているけれど、アメリカの文化があまり好きではないと言っていた。中国でも暮らしていたが本土ではなかったし中国の本当の文化を知らないと言い、また中国人のようには中国語を話せないと言っていた。そして今は日本の文化や言語に興味を持ち、将来暮らしてみたいと言っている。彼もまたどこかで自分のアイデンティティを探しているのかもしれない。ちなみにこの中華系シンガポール人の彼は、自分のアイデンティティは元をたどればやはり中国と認識している。この辺の話は純粋な日本人の私にとっては大変複雑である。

②使う言語の種類と相手との距離の関係

まだ私が中国語を勉強しているという話から(まずい、最近は勉強していない)、使う言語によって相手との距離の縮まり方が違ってくるという話になった。彼は自分と同じ方言の中国語を話す相手をより近く感じるらしく、英語はビジネスや関係性の少し遠い相手に使うフォーマルなコミュニケーション手段として位置付けている。私の場合は逆で、日本語を使うと相手と距離ができすぐに仲良くなるのが難しい。これは言語の背景にある文化上、親しくない人には丁寧な日本語を使うことや他人の個人領域にいきなり入り込まない、思っていることをストレートに言わないといったことが自然と働くからだと思われる。英語を使うと西欧の文化上、物をある程度ストレートに言え個人領域に早い段階で入っても特に失礼にもならず、話せる話題が広くなるのだと思われる。

③使う言語と話す内容の深さの関係

彼が「日本語で日本人と話しても、このように英語で話すのと同じように何かを深く話すことができますか」と良い質問をしてきた。「話す相手にもよると思いますが、そういうことができる相手を見つけるのがなかなか難しいような気がします。もしくは日本では何かを日常的に議論する習慣がないか、自分の意見をそんなに持っていないのか・・・」協調性をつける訓練は受けていても、相手に自分の意見をぶつける訓練を日本ではあまり受けていない気がする。私は外国人と話すと、自分の英語力の問題で表現は限られるが、話す内容の深さだけで言えば日本人と話すよりも外国人と話している方が相対的に何かを深く話している気がした(親しさが同じだとしても)。それがなぜなのかはうまく説明できない。ストレートに物を言えるからか、個人領域にずかずか入って行けるからか、みなそれぞれ自分の意見を持っておりそれを主張し合えるからか・・・。そうそう物を深く話せる相手と巡り合えること自体も稀だとは思うけれど(途中で場所を変えて、デザートを食べる。そしてまだ喋る)

f:id:Nisshi:20180411175308j:plain「君が来月どこで何をしているのかまだ分からないように、僕も数か月先のことは分からないんだよ」と彼が言い、お互いしばらく似たような状況にあることが分かった。数か月家族の様子を見て、シンガポールに定住するかどうかを決めるらしい。今思えば我々はいつも似たような状況だった。お互い異国に住み、どこの組織にも属さずに自分で身につけた何かの専門性で金をいくらか稼ぎ(彼はIT技術を売り、私は言葉を取り扱った)、外国人に囲まれて生活していた。2人とも何かを誰かと話すことに飢えていたのだと思う。最後に彼に質問してみた。「What is your next step?(あなたの次のステップは何ですか)」「プログラミングのフルタイムの仕事を見つけて、何か新しいものを作ることかな」

(確かに「ン」と「ソ」は似ていますよね。おしい)

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13時半に待ち合わせて、気づいたら16時半になっていた。「日本に帰っても、たまにWhatsAppか何かで話せますか?あなたは先に私が体験する色んなことを乗り越えていますから、アドバイスください」「話したい時にいつでもメッセージくれたらいいよ。またシンガポールに来てください」「はい。あなたもぜひ家族みんなで日本に来てください。私がガイドをしますよ」色々言いたいお礼はあったけれど何だかかしこまってそんなことを言う気にもならず、握手だけして普通にいつも通り別れた。

彼もまた中華系アメリカ人の日本語の生徒さんと同様に、一方的に何かを決めつけて話したりせず、色んな違いがあることを受け入れた考え方の持ち主だった。お互いの意見をぶつけ合うこともできたし、年上ということもあり個人的な領域の話を節度を守って紳士的にできる貴重な存在でもあった。

いつも楽しいディスカッションをどうもありがとうございました。とりあえず一カ月後くらいにどこで何をしているかをまた話しますね。お互い歳を取りながら、これからも末永くキャッチアップを続けられればと思います^^

シンガポールを出るまで、帰国後のことは考えない!

なぜか先週日本から戻ってから、ずっとひどい疲れがとれない・・・。北インドのラダックを旅した時に、レーからパンゴン湖へ標高5,000m以上の峠を車で越え、往復11時間かけて行った後にホテルでこと切れた時と同じくらい調子が悪かった。しかし不思議なことに西洋医学で診てもらった結果、外的に何も異常を確認できず、全ての不調は内的な要因で引き起こされているのだと知る。本帰国に伴う色々な心配事が知らず知らずのうちに不眠を引き起こしているようで、中医学クリニックで出た薬を今日もせっせと飲む。そしてシンガポールを出るまでの最後のルールみたいなものを紙に書いて、部屋に貼っておいた。

(ラダックの絶景。あぁ、33歳の時にこの過酷な旅を終えていてよかった。今はもう無理)

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<シンガポールを出るまで>

①元気な状態で友達に会いに行き、たくさん話すこと(中国語含む)

②元気な状態で日本語を教えること

③帰国後のことを考えることをやめること

今の私にこれ以外重要なことは何一つない。シンガポールで友達と会う最後の日は、元気に一緒に食べて飲んでたくさん話したい。最後の最後にシンガポール女子と飲みに行く時まで必ず元気でいたい。そして最後まで日本語を楽しく教えたい。日本に帰った後のことをうにゃうにゃ考えていたが、そんなことは帰ってから腐るほどある時間の中で考えてくれ!!と今日思った。(ボボチャチャもまだ作れるようになっていないじゃないか!)

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去年の5月くらいに書いたと思われるメモを発見し、そこに当時の自分が『自分はあと何をすればシンガポールを去る時に後悔しないか?』などと書いている。『そんな先のことを考えている暇があったら、外に出ろ!友達とたくさん話せ!なんか楽しいこともっとしてくれ!』と思う。去年の私よ、部屋の中でごちゃごちゃ何かを考えたりせずにただ単に好きなことを片っ端からやりまくって、その瞬間を楽しく過ごしてください。その約一年後くらいにあなたは本帰国になって『あぁ、中途半端にこのまま時間が止まればいいのに・・・』と思っているんだから。

シンガポールのサンセットにやはり敗れる

なんとかシンガポールにいるうちに地平線に沈むきれいなサンセットの写真を撮れないか、またOutram parkにあるHDBの50階のスカイブリッジへ行ってみた。スカイブリッジに行くための手続きをMA Officeでしようと思ったら、食事休憩中という札がかかってあるではないか。『おいおい、いつ戻って来るんだよ。サンセットに間に合うんだろうな・・・』と私も含め他のサンセット狙いと思われる人達が冷や冷やしていたら、インド系の兄ちゃんが戻って来た。ところが気の毒に私の前に並んでいた4組くらいの人が何かブツブツ文句を言いながら去って行く。どうやらスカイブリッジに行くためにMRTやバスに乗る時に使うカードの提示が必要ということを知らなかったようだ。

前に並んでいるシンガポール人の手続きが完了するのを列で待っていたら、カードがなくて中に入れなかったと思われる女の子に中国語で話しかけられる。「你说中文吗?(中国語話しますか?)」「・・・。一点点(少し)」「〇△☆×※吗?」「???(全然分からんな)」多分カードについて聞いているのだろうと思い、駅に行ってカードを買わないと行けないんですと言いかけるも「你要去・・・(あれ?駅って何て言うんだったっけ?忘れた・・・)」単語が出て来ず撃沈した。それでも彼女は中国語で話しかけて来るので、何とかあらん限りの中国語で対応していたら、とうとう聞きかねたのか前のシンガポール人が中国語で助けてくれた。中国語検定が終わったと同時に日本へ一時帰国し、見事にきれいさっぱり忘れてしまった!きっと今週末言語交換をする中国女子にボコボコにやられることだろう・・・。

スカイブリッジには来たものの、結局サンセットを見ることはできなかった。今回は前回よりも雲がかかり話にならない。『あぁ、そう簡単には美しいサンセットは見せてもらえんな・・・』もし雲がかからなければ、この場所がシンガポールで一番美しいサンセットを見られると断言できるのに。

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それでも広い景色を見るのは気持ちがよく、また港の方の夜景が私は好きだった。夜は涼しく風に吹かれながら夜景を見て、シンガポールに来て本当によかったなぁと思った。大変なこともたくさんあったが、もしシンガポールで体験できた全ての出来事が私の人生から取り去られたら、きっと味気なく薄っぺらい人生になっていただろう。異国でこれだけ色んなことを自分で動いてできたのだから、日本に帰ってもきっと大丈夫と自分に言い聞かせて、スカイブリッジを後にする。

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スカイブリッジから見える景色はいつもと同じだった。私がシンガポールにいようがいまいが、シンガポールの町を車は走り続けるし、この屋上をここの住人は夜に毎日散歩し続けるし、私の近所の猫はいつも通り道端で眠り続ける。私は今回の本帰国を前に自分を取り巻く環境が目まぐるしく変わって行くのを心配していたけれど、世界は何も変わらずに今まで通り動き続けているのだ。自分だけが色んな事が変わって行くように騒ぎ立てているだけで、大きく見たらあんまり変わっていないのかも。(私の中国語の進歩のように・・・)

それに住む場所が変わっても、私自身は変わらないだろうし。

変わらないのはJimさんだけ

久々にチャイナタウンの中医学クリニックへ行く。「こんにちはー。先週日本にいました」「こんにちは、そうでしたか。先週見なかったので、いかがなさったのかと思っていました」いつも通り脈診と舌診を受け、血圧を測る。「血圧はいいですが、睡眠の質がよくありません。それが色んな不調の原因です」とのことで、腰痛よりも睡眠に効くツボに鍼を打ってもらうことにした。きちんと寝れないと寝返りを打てずに、腰痛を引き起こしやすい。帰り際に旦那はまだ日本にいると話した。「出張ですか?家族に会いにですか?」「あるいは両方かもしれません。実は今月末で日本に帰るんです。なので家を探しに行っていたんです」「もう戻ってこないんですか?それはそれは・・・」I miss you・・・と寂しそうに言われた。私もです。でもまだ時間があるので、また来ますね。私は日本に戻ってシリアスな病気じゃなくても調子がこのように悪い未病の時は、一体どこに行けばいいのだろう。シンガポールではこうして中医学クリニックに来れたし、ドクターは政府の認定をきちんと受けているので安心だけれど、日本に中医学医師がいるのか、またそれが本物か否かを見分けることもできない。

(いつにも増して暑いチャイナタウン)

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ボボチャチャを食べるか迷った末に、いつものお気に入りのマカオ料理を食べに行くことにした。「あの豆腐のやつと、ご飯ください」そしていつも通り向かいの飲み物やで豆乳を買う。「いえ、冷たいやつではなくて常温の物をください」中華系シンガポール人があまり冷たいものを飲んだり食べたりしないので、いつしか自分も冷たいものをあまり取らなくなった。テーブルに料理が運ばれてきたのでお金を払おうとしたら、なぜかおばちゃんに先にお釣りを渡された。「???私、もう払いました?」「全部で8.5ドルです。10ドルもらったから、そのお釣りよ」と言われたけど、全く払った覚えがないのは私が疲れすぎているからか、注文を取ったお兄さんの勘違いなのか・・・。食べ終わっていつも通り皿を自分で返却場所のように持って行こうとしたら、中国語で置いておいたらいいから!と店の2人に止められた。「あんた、日本人か?」「はい、そうです。谢谢,再见」

(この一番左上の魚を次は食べたい!)

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MRTの手前にある掛け軸屋に目が留まり、ちょっと入ってみる。中国語の先生のWhatsAppの自己紹介みたいなところに「凡人皆需敬畏,凡人皆需谦卑」と書かれていて、推測するに「人はみな誰か尊敬する人が必要であり、謙虚である必要がある」といったところか。素敵なモットーだなと思った。中医学クリニックにも中国語の教訓みたいな掛け軸が飾っており、私も最後に何か好きな言葉を買っていこうと思っていた。

漢字から大体の意味を推測できるが、ちょっとこれらは分からない。店の人に聞いてみる。「すみません、あの一番左のやつはどういう意味ですか」お姉さんが「〇〇先生!」と言って、これを書いたと思われる先生を呼んできた。「私は日本人です。漢字は読めますが、この文章の意味が分かりません。どういう意味ですか?」と聞くと「私は中国人ですが、意味なんか知りません」と言われた!「え?!なんですって?」そして龍=ドラゴンという意味だということだけ説明された。(そんなことは知ってます!!)まさか意味も分からずに売っているとは・・・西欧人に同じ質問をされないのだろうか。もしくは本当に意味なんてないのだろうか。結構みんな適当に生きてるんだということを知った。そしてここで掛け軸を最後に買うことに決めた。

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家に帰り二週間後ぶりにJimさんと英会話をする。日本で感じた逆カルチャーショックやこれからどうするかなどを説明しようとしたら、なんとスッと英語が出てこないではないか・・・。中国語検定に向けてここ最近中国語ばかりやっていたからか、日本で日本語しか使わなかったからか、疲れているからか分からないが、たった二週間話さないだけでこんなに流暢さが損なわれるなんて先が思いやられる。多分中国語はもっとひどいことになっていることだろう・・・。

Jimさんが言う。「その逆カルチャーショックを感じるのは、自然なことだと思います。始めは戸惑いますが、元々いた国ですからみな数か月で適用していくみたいですよ。あなたも大丈夫ですよ」とのことで、なぜかほっとした。目まぐるしく環境が変わっていく中で、Jimさんだけが変わらない存在だった。自分の状況をよく知ってくれていて継続的に近況を話せる相手というのは、言語を越えて大切だと改めて思った。一方、英語や中国語がうまく話せなくなってしまい、そういう人と深く物を話すことができなくなるのはとても悲しいことだとも感じた。最大限の努力はするつもりだが、シンガポールと日本では環境が違うのである程度できなくなっていったとしても、受け入れていくしかないのだろうけど・・・。

そして私の日本語のレッスンを週二回受けている生徒さんのことを想った。彼も英語しか使わない環境で、なんとか日本語を維持するためにこうして頑張っているのだと。

出会いによる世界観の変化

腰がやられた・・・。今回の日本への一時帰国は、行きは中国を帰りはベトナムを経由してシンガポールへ戻ったためフライト時間が長く、前にバッティングセンターで痛めた腰痛が再発してしまった。また中医学クリニックで鍼を打ってもらうか・・・。

(刺された時は結構痛い・・・)

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シンガポールへ戻り全てがいつも通りになる。タクシーで流れる中国語のラジオと粗い運転、78%の湿度(日本は39%だった)、夕方に降るスコール、部屋の窓から見える高層ビル。中国で買った龍井茶を飲みながら、全てにほっとした。もう一つほっとするのは、週二回日本語を教えている中華系アメリカ人と話す時間だった。「こんばんは~あれ?風邪ですか?」「いえ、花から出ている粉のせいです」「それを花粉といいます」彼の住んでいる場所は日本のようにお花も咲き乱れないのに、花粉でこの時期は大変だそう。

日本へ帰り友人と話していて、気づいたことがあった。それはお互いの環境の変化のせいか、私は二人が持つ世界観みたいなものにちょっとした”づれ”を感じた。そしてその”づれ”を認識する基準の一つが、知らず知らずのうちにこの中華系アメリカ人の生徒さんとの会話になっていた。我々はお互い物事を大きな視点から広く、また何事からも一歩引いて客観的に物を述べることが多かった。お互いの居住国がシンガポールとアメリカというのもあるし、私は日本人であり彼は人生の半分づつをアメリカと中国で過ごしていることもあって、何かの話題についてアメリカはどうですか?とかシンガポールはどうとか、それに比べて日本はこうで中国はこうですね。など国レベルで話すことが多々ある。また個々の国々でもちろん違いはあれど、大きくは西欧  vs アジア文化のようにくくって話すことも少なくなかった。2人とも自国の国民性を客観的に見て、相対論として説明できることもおもしろかった。彼はアメリカ人や中国人の特性を自分とは関係のない人のようにいつも話し、私はシンガポールに住んで自分が接してきた外国人と比較した場合の日本人の特性を客観的に話した。

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私に影響を与えた彼の持つ世界観の一つに、何かを決めつけることなく物事をフラットに見るというのがあった。例えば、日本ではビルやマンションなどが立ち並び、昔ほど子供が外で遊ぶことができなくなったという記事があったとする。私だったら「かわいそうに・・・子供は外で走り回って遊べないと!」と思ったが、彼は「人によります。家の中でゲームで遊べば、コンピュータなどの知識が学べます」というようなことを言った。なるほど、そういう考え方があったのかと新鮮だった。日本人が他人の話に同調することが多いのに対し、彼はよく”人によります”とか”文化が違います”などと自分の意見をストレートに言い、またその視点も多面的で色んな物事の違いを受け入れた考え方だった。そしてそれは私が持っていない物の見方だった。

なので、どうも知りもしないのに何かを始めから決めつけて話したり、あまりにも小さな視点でしか物事を捉えられない会話になると、違和感を感じるようになってしまった。きっとこの中華系アメリカ人の彼は、私とレッスンを始めた当初はこういう風に感じていたんだろうなと思う。それでもその後一年も続いたということは、私も少しは考え方が柔軟になったということか。よく知りもしない異国人同士で、且つ限られた日本語だけで週二~三回もフリーコンバセーションをし続けるのは結構難しかったが、もしかしたら話題の広さや特定の分野だけの会話で言ったら、日本人の友達よりも深く話したかもしれない。

今日の会話の締めくくりとして私は「文化の違いを受け入れてお互い歩み寄れば、理解し合えると思う」と言うと「そういう考え方は偉いです」と26歳の彼に褒められた(私は35歳)「ありがとうございます。でも年上の人に日本語で”偉いです”を使わない方がいいです。(前に年下が年上をそのような単語で褒めると、上から目線で失礼にあたると教えた。素晴らしいとか勉強になるを使った方がいい)」「あ!そういう意味じゃなくて・・・」「知っていますよ(笑)」ではまた木曜日に!と言って会話を終えた。私は彼に最後のレッスンの日に、こうフィードバックしようと思っている。「日本語を上手に話せるようになることも大事ですが、あなたが持っている物事を決めつけずに多面的に見られる能力はもっと重要だと私は思います。そういう能力は誰でも身につけられる訳ではありませんから、大切にしてください」と。