シンガポールにいるうちに🌴

2015年8月~2018年4月 大好きな東南アジア生活の記録

シンガポール生活のあとがき ~書くということ~

さてシンガポール生活を思い起こしてみて、一番長く続いたのはこの”書く”ということだった。もともとこのブログを書き始めたきっかけはこの三点だったのだけれど、その後、私のシンガポール生活において”大勢の人に向かって、大きな独り言をぶつぶつ呟く”という作業は結構大切なことになっていったように思う。

①三か月の一人旅(2015年4月~7月)に出ている間、母と夫に無事を伝えるため

②自分がその時に何を見て、何を感じたのか記録しておきたかった

③日常的なストレス解消方法が必要だったから(それを書くことに求めた)

なぜかというと、まず単純に”書く”ということ自体が楽しかった。始めから母と夫という二人の読者を獲得してはいたが、読者がいようがいまいが、なぜかただ単に自分が体験したことや見た物、感じたことを書くという作業そのものが楽しかった。つまりブログを書き始めたことで、日々の楽しみが一つ増えたことになる。次に書くことで自分の考えを整理できるということ。その時に思ったことや感じたことをそのままタイプしているので(何かを整理してから書いている訳ではない)、書いて自分の文章を眺めた後で『あぁ、自分はこんな風に思っていたのか』と気づくことがあった。f:id:Nisshi:20180503181405j:plain

そしてお顔を直接拝見することはなくとも、時としてブログを書いていることで誰かとの繋がりを感じられることがあった。これはある種、孤独な異国生活を送っている中で『自分は一人じゃないんだ』と思うことができ、私にとってはとても重要なことだった(なんせ、一言も誰とも口を利かないという日もあった)。また自分が行った場所へどなたかが行ってくださったり、自分の体験が何らかの形で誰かの役に立っていたことを知った時に『自分がシンガポールでやってきた色々なことが、無駄じゃなかったんだなぁ』と思え、何か感慨深いものがあった。あとひそかに、誰かの暇つぶしたるちょっとした読み物を目指していました。ですので、もしシンガポール(もしくはどこの国にいても)で『暇で死にそう』などと思ったら、ブログを書いてみるという時間の潰し方もあるかもしれません。(案外書き始めは難しくて、あれやこれやと文章をこねくり回しているうちに、数時間があっという間に経ったこともあった)別に死にそうと思わなくても、書いたらいいのだけれど。

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さて、これからは自分のポリシーみたいなものを「シンガポールにいるうちに🌴」から「日本にいるからこそ🎐」へ変えて、日本でも自分にとって意味があり、おもしろいと思える生活を送って行きたい。現時点で分かっていることは、シンガポールであまりにも自由な生活を送りすぎて、三年前に自分が日本で送っていた生活には適応できそうもないということ(笑)また色んな国を旅し色んな人と話した事で、自分の価値観や考え方も昔の自分とは大きく変わり、今の自分にフィットする何か新しいものが必要な気がする。日本からシンガポールへ引っ越しした時と同様に、またここから自分が一体どのような人生を送るのか予想がつかなくなってしまった。

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とりあえずしばらく休養を取ったら、自分のシンガポールでの経験から何か人の役に立てそうなことをコツコツとやりますか。特に自分がシンガポールに住んでいた時にほしかったことの一つ『誰か同じ経験をしている人に、ただ話を聞いて欲しい。大変さを分かってほしい』ということを今度は自分ができればいいなと思う。ちなみにある日どうしても誰かに話しを聞いてもらいたくて、ココナラという自分のスキルを誰かに売るサイトで、孤独な海外生活を送っている人の話を聞いてくれるサービスがないか検索したことがあった。が、チャットだけで直接話を聞いてもらえるサービスはなかった・・・。”話聞きます”というサービス自体は存在するが、やはり同じ経験をされていて辛さを分かってくれる人に話がしたかった。そうでないと、機械に向かって話しているのと同じことになってしまう。

最後になりましたが、みなさんのシンガポール生活が(いや、別に日本でもタンザニア生活でも)充実したものになりますように。ここから私は、シンガポールに約三年住んだ自分が今後どのような生活を送って行くのかを綴ってゆきます。ただし次は日本にいるからこそ🎐へ。

シンガポールからの脱出まであと1日~思い出の場所を周る~

昨晩は一番仲が良かったシンガポール女子とSomersetのショップハウスのバーで飲み、別れを惜しんだ。そして我々はいつも通り色々な話をした。日本に帰った後、私はどうするつもりなのかとか(まだ何も決めてない)、そっちは最近できた彼氏とはどんな感じなのかとか、お互いの次の旅行のプランとか。「多分10月くらいに日本に会いに行くわー。東京以外の日本のどこかで会おう。私東京、人多すぎて好きちゃうねん(彼女は関西弁だとこんな感じで話している」「ぜひぜひ!本物のおいしい日本酒の店に連れて行きます」ちなみにさっき私は10月くらいから仕事に復帰できるように職を探すと話したのだが、そんなことはどうでもいい模様。彼女は自分が日本に行きたい時にただ行くだけなのだ。そういうやり取りにももう慣れてしまった(笑)

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20時半くらいに彼女の彼氏が到着する。彼氏はなんというか、仏の雰囲気が漂う心の広そうな方だった(笑)『なんかこういう人、どっかにもおったな~』と自分の旦那を思い浮かべる。彼女と私の価値観や性格はかなり似ており、自分で言うのもなんだけれど結構キツイ。そういうキツさを彼氏は温かく子供を見守るように受け入れていた。

(彼女のお気に入りのフルーティーなフランスビールを堪能)

f:id:Nisshi:20180429174709j:plainまだ21時半なのに彼女はしきりにあくびをし出した。「飲み過ぎたわ~」というけれど、ビール一杯半しか飲んでいない(笑)そろそろお開きにしますか。二人がタクシースタンドまで見送ってくれる。「寂しくなります・・・。あなたになら何でも話せました。あなたはシンガポールでの私のベストフレンドです。ぜひ連絡を取り合いましょう」「もちろんよ!」最後にハグをして別れ、私はタクシーに乗り込んだ。本当にありがとう。私は彼女との交流を通して色々なことに戸惑いながらも、言語や文化の違いを超えて一個人として分かり合えることの素晴らしさみたいなものを学んだ。日本で待っていますね、再见!

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そしてついに今日がシンガポールに滞在する最後の日となった。きれいに晴れて、朝から気温が33度と暑い・・・。幸運なことに体調は良好で、いくつか思い出深い場所や旦那をいつか連れて行きたかった場所へ行くことができた。

(マーライオンパークで写真を撮ったり)

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日本で中華は食べられてもマレー料理を食べるのは難しそうなので、私のお気に入りのマレー料理屋Coconut clubへランチに行ったり。

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いつも二人でよく行った足裏マッサージ屋へ行ったり。夕方にはPinaccleの50階にあるスカイブリッジへ夜景を見に行った。しかし最後の最後まで残念ながら、地平線に沈む美しいサンセットをここから見ることはできなかった。

(小さなことで悩みだしたら、よくここの広い景色を見に来ました)

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最後は高島屋にある中華料理屋で、チャーハン、野菜、小籠包、焼き餃子を店内に通されてから20分くらいで食べた。ここの中華は本当においしかった。

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そして昨日シンガポール女子と行ったショップハウスのバーへ旦那を連れて行った。

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もうシンガポールでやり残したことは何もない。最後の最後まで自分の好きな場所を周ることができて大変幸せです。あとは無事に明日日本へ帰るのみ。まだ今日でさえシンガポールを明日去るということを想像できないが、きっと明日空港に着いたら実感するんだろうな・・・。

シンガポール様、本当にどうもありがとうございました!

シンガポールからの脱出まであと2日~言語や文化の違いはあまり関係ないのかもしれない~

昨晩、疲れ果てた私は一人で休むために、同僚とのカラオケに行く旦那をとっととホテルから追い出し、ベッドでじっと横になっていた。すると毎週言語交換をしている中国女子のシャンシャンからSkypeでメッセージが来た。『今週の土曜は都合が悪いかもしれないから、明日だったら話せますよ。でもあなたは日本への引っ越しで忙しいかもしれないわね』『親切な申し出ありがとう。そうなんです、こちらは今ちょっとしたカオスです。私は疲れ果てました。日本に戻って落ち着いたら連絡しますね。あなたも試験が終盤を迎えるんでしょう?頑張ってね』『他の国へ引っ越すのはとても大変なことよ。ゆっくりやってください』彼女も中国からアメリカへ引っ越ししているので、その大変さを知っている。そして私はこう返した。『私は異国に住むことがどれだけストレスなのか知っています。うまくストレス発散してください』おやすみと言い合ってチャットを終えた。

今日シンガポールはきれいに晴れた。昨日疲れ果てて八つ当たりしたことを旦那にお詫び申し上げて、一緒に朝食を取りに行った。中国語、英語、マレー語など色んな言語が飛び交う中で朝食を取りながら、ふと思う。人と交流をするのに、特にもう言語や出身国の違いは障害にはならないな。ある程度国民性みたいなものがその人を構成はしていても一個人としての本質はひとりひとり違うので、結局のところ言語や文化の違いを超えて、その人自身がどういう人なのかを知ることが重要なのだと思う。

この三年間色々な外国人と交流をしてきて思うのだけれど、広く見ればみな人間という同じ生き物で、ただ単に使う言語や習慣が違うだけだと今は感じる。多少の(いや、結構違う時もある)文化の違いに驚かされることはあっても、その人自身がどういう人なのかは言語や文化の違いを超えたところで理解することができる。中国女子に「リスニング力が全然進歩しないわね!」と直球で言われて『ヒー!!』とはなっても、私のつたない中国語の練習に付き合ってくれる時点で大変親切な子だと分かる。直球に多々ひっくり返りそうになったシンガポール女子も、私が落ち込んでいたり困難な時はいつも話を聞いてくれるなどし、根は親切で優しいことが感じ取れる。私は言語や文化の違いとその人の本質は別物だと考えるようになった。ただやはりその人の人となりを知るには、ある程度のレベルの何らかの共通言語が必要になってくる。そうでないとお互いを分かり合えない。f:id:Nisshi:20180428122238j:plain

朝食から部屋に戻り、昨日の夜シャンシャンとのやり取りの後に書いた中国語日記を開くと、こう残されていた。『シャンシャンや中国語の先生など、私の中国語習得を助けてくれる人達の期待に応えたい。そして今英語でコミュニケーションを取っている全ての友人とコミュニケーションを取り続けられるよう、少なくとも英語の能力を失うことはできない』

シンガポールからの脱出まであと3日~疲れ果てる~

今日、我が家は空っぽになった。10時から引っ越し業者が手際よく荷物を梱包し、運び出し、14時には何もなくなってしまった。なんだか不思議な感じだった。数時間前までそこのダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら、パンを食べていたのに。家具がなくなると、いつもよりも部屋はなぜか狭く感じた。そして部屋に家具があった頃の自分を回想し『色々よくがんばったな』と思う。シンガポールに来た頃は『こんなところに数年間も住めるかよ!』と思ったが、三年間あっという間だった。あと三日はホテル住まいになる。

(見慣れた風景を残しておきましょう)

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しかし私は疲れ果てた・・・。色々なことを終えたり、家がなくなったり、ホテルに移ったりと目まぐるしく次々と環境が変化していくことに体がついていかない。それに4月初旬から自律神経が乱れに乱れて訳の分からない不調が出続けており、ここにきてとうとう薬の効き目も薄れてきてしまった。おかげで体力を回復できず、朝起きた時点でHPが30/100くらいしかないのですぐに疲れてしまう。私はホテルで横になり、旦那が一人諸手続きへ行ってくれた。旦那が仏兼鉄のように頑丈な人でよかった。私は2年前、どうやって三カ月間色んな国を転々と旅していたのだろう?

(三か月の一人旅の始まりはブータンだった)

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この一カ月の間に色んな気持ちの変遷があり、それを客観的に眺めるのもなかなか興味深かった。始めはシンガポールを去ることが受け入れられず、今手にしている色んなものにしがみつこうとした。シンガポールのどこを歩いていても寂しくなった。しかし徐々にそんなことをしていてもどうしようもないことや、私はもう日本に帰りたいのだという気持ちを思い出し、全てを受け入れられるようになった。ただ三日後にはシンガポールを去ることを、まだ想像できない。ちょっとおうちがリノベーションか何かで、一時的に近くのホテルにいるような気さえする。あれだけシンガポールを去る前に色々な場所へ行っておこうとか、色んなものを食べようとか思っていたのに、もうそれの何一つもしたいと思わなくなってしまった。今はただただ早く日本へ帰りたい。日本の自然や伝統を感じたり、野菜や魚の多い健康的な普通の日本の家庭料理をたくさん食べたい。公共のマナーの悪さにイライラしなくて済む国へ早く戻りたい!と思う。

こんなこと言うのはなんだけれど、今思えば私にとってはシンガポールはちょっとしたカオスだった。近所のおばちゃんの公開カラオケ。

www.youtube.com

駅のプラットフォームで相撲を取る親子。エスカレーターから人が降りるのが遅くて後がつっかえる。乗り散らかされて道に放置されているたくさんのレンタサイクル。すれ違いざまに「ゲェッ~」っと豪快にげっぷをしていくおじいちゃん。汚いトイレ。(意外かも入れないが、シンガポールの女子トイレは場所によっては非常に汚い。インドのトイレの方が紙がないので清潔)人付き合いにおける文化の違いは受け入れられても、どうしてもこういう公共の秩序のなさ(もしくは不完全さ)を最後まで受け入れることができなかった。今きたしている様々な体調不調は本帰国に向けた環境の変化によるものと思っていたが、もしかしたらこのカオスに身を置くのがもう限界で出たのかもしれないとも思う。

(これはLittle India)

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さて、残すはシンガポール女子との飲みだけ。彼女は最近彼氏ができ、なんと明日紹介してくれるという。友達に彼氏を紹介されるなんて、大学生の時以来でなんだかとても新鮮。それに私に自分の大切な人を紹介したいと思ってくれること自体が、とても嬉しい。絶対に明日の夜までは元気でいるぞ!

シンガポールからの脱出まであと4日

約三年間住んだシンガポールを出ていくための荷造りをする。去年ここに引っ越した時は全てを運んだので相当疲れたが、今回は必要最小限の物だけ日本へ持って行くので少し楽かもしれない。それにほとんどのものは捨てていく。

色んな事がここ数日間で終った。まずシンガポールのお勧めスポットを書くライター。探せばあるのかもしれないが、シンガポールは小さな国故もう書き尽くしてしまった。私は店や物についてではなく、自分がどこかへ行って何かしらに感動したり衝撃を受けて『他の人にも知ってほしい!』と思った体験を書いていた。しかしそんなにしょっちゅうしょっちゅう目新しいことはもう起きない。これくらいが辞め時だったように思う。ただ書くこと自体は楽しかったので次は日本国内の行ってみたいところへ行き、何らかの形でライターみたいなことができればいいなと思う。特に日本の伝統文化や伝統工芸品などに触れる旅を次はしたい。

(いつも窓から雨が降るのを眺めていました)

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そして約一年間日本語を教えていた、アメリカに住む一番長い生徒さんの授業が終わった。普通に今まで通り会話をし、不自然な日本語を直し、最後にお礼を言った。「私のレッスンを長い間受けてくれて、ありがとうございました。この一年間、あなたは大変努力されすごく流暢になりました。」そしてこう付け加えた。「もし私と話したいと思うことがあったら、連絡ください」「LINEのID聞いてもいいですか?」「いいですよ。たまにこうしてお話ししましょう!」「はい!また日本で会いましょう!」”~ましょう”を年上に使わないようにと言っただろうが(笑)まぁいいや。そして生徒さんが私に言う。「もし日本語をまた教える場合は言ってください」ボランティアや外国人との交流の一環として日本語を教えることはあっても、もう今のようにオンラインで定期的には教えることはやめることにしたんです。でもこれから友人として雑談できるなら、いつでもウェルカムですよ、と心の中で思う。私が中国語の先生としたのと同じように、自分の日本語の一人の生徒さんと今後は一個人として異文化交流をしていくことになりそうだ。今思えば彼との出会いもまた不思議だった。日本やアメリカに住む日本語のTutorはたくさんいるはずなのに、なぜシンガポールに住んでいる私にコンタクトしたんだろう。それにどうやって見つけ出したんだろう。しかもタイミングが合い、第三国である日本で直接会ってレッスンをすることができたのもなんだか不思議だった。

(祇園祭の時期に会いましたね。また会いましょう)

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やりがいを感じてはいたが、私はなぜオンラインで日本語をもう教えないのか。まず一つは日本語という言語だけを教えることにフォーカスすると、私にとっては視野が狭くなりそうだと感じたことだった。言語の背景にある文化や習慣、価値観などもっと深いことを合わせて教えられたらいいのだけれど、実は私は日本のことを本当の意味で知らない。(茶道をしたこともないし、歌舞伎をみたこともない)なので、日本に帰ったら自分が知らない日本を実際に知りに行こうと思う。次にもう”生徒が入ってきては、去って行く”ということを経験したくなかった。すっぽかされたり、音信不通になったり。外国人が相手なので日本人とは感覚が違うのは承知の上でも、自分が粗雑に扱われているようで結構疲れてしまった。三つ目は、自分で選んだもののもう今のような自由すぎる生活をやめたいということ。毎日どこで何を誰とするのかを全部考えて決める。何でも好きなように出来る。でもやっているその全てのことを、いつでもやめることもできる。そうなってくると、私の生活はからっぽのような気がした。人間はないものを求める生き物だと、つくづく思う。

残すは、荷造りといくらかのめんどくさい手続きのみ。そして土曜日には最後のイベントである一番仲の良かったシンガポール女子との飲みが控えている。シンガポールを出るまでどうか体調が持ちますように。

シンガポールで暮らすことになった自分へ送るアドバイス ~その6~

⑩頑張りすぎないで・・・

特に「①健康でいてください」と関わってくるけれど、とにかく頑張りすぎないでほしい・・・。頑張りすぎに自分で気づけないのなら、周りの家族や自分のことをよく知っている友人などに頑張りすぎていないか見てもらうといいと思う。まぁ私は「頑張りすぎなんちゃうん」と言われても、聞く耳を持たなかったのが悪かったのだけれど。この頑張りすぎが原因で、きっと色んな不調をきたした。

日本で自分が手にしていたものを失ったことによる反動もあったのだろうけど、そんなに焦ってシンガポールの新しい生活を作ろうとしなくてもいい。まずはしっかり休んで、自分を癒してほしい。そうでないと結局あとで”ガタ”が来る。そして日本でバリバリ働いていた頃の自分とシンガポールにいる自分を比べて、ムチを打つのはやめてください・・・。いる場所も違えば環境も違うし、歳だって違う。無理やり生活を充実させようと、時間を埋めるようにして何かをしなくてもいい。のんびりどこかのカフェで本を読んだり、家でボーっとしたり近所の猫と遊んでいるだけで心が平和になるならそれでいい。一日何もしない日があってもいい。

多分『もっと頑張らないと!』と思う人ほど、もう既にかなり頑張っているような気がする。そして『あぁ、もうこれ以上頑張れない!』と思った時は実はもう手遅れで、とっくにキャパが越えていることが多い。もし『なんかもう疲れたな・・・』と思ったら、速度を弱めてほしい。休んでほしい。誰かにしんどいと話してほしい。気づかないふりをしてそのままアクセル全開で突き進むと、結局どこかで“ガタ”が来ますので・・・。

(”休む余裕も必要なんちゃうん”と古い友人に言われた。そうかもしれない)

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色んなことを書いておいてあれですが、じゃあシンガポールに来た頃の自分がこれを読んで、本当の意味で内容を理解しそのようにするかと言われると多分しないと思う。一つの例として参考にはしても、結局のところ自分の性格上、人から言われたことよりも自分がえらい目に合いながら何かを学び、自分で行動し、その結果見つけた何かにしか満足しないのだと思う。なので、自分がこうしたい!と思うことをすることが一番いいのだ。

ただ、健康にだけは気をつけてください。失うと戻ってこない場合もある。そして頑張りすぎないで・・・。しんどい時はそのしんどさを分かってもらえる誰か(同じ経験をしている人がいいですね)や、その筋の専門家と話をして自分を楽にしてあげてほしい。あぁこれだけ書いておいて、結局大切なことは三つだけになりましたね(笑)

異文化を理解はしても、私はどこまでも日本人

また新たな文化の違いで、ちょっとした混乱を招いたのでここに残しておくことにした。今回改めて思ったのは、異文化を理解や尊重はしてもその異文化に自分が無理をして合わせる必要はないということ。

あるシンガポール人が知り合いの中国人のための部屋を探しており、私に部屋を紹介してくれそうな友達はいないかと聞いてきた。なぜ外国人の私に(それに私は不動産業はしていない)そんなことを聞いてくるのか?と思いながらも、一人思い当たる中国人の友人がいた。彼女はシンガポールで家を買ったが香港に引っ越すので、去年家を貸に出していた。もしかして空いてたりするかなと思いコンタクトしてみると、なんとこの六月に空くというではないか。写真を見ると、なかなかキレイないい感じのフラット。立地もセントラルエリアに近いので、家賃はきっと安くはない。やはり家賃は要相談とのことで、写真とその旨を私のシンガポール人の友人に伝えた。

『家賃が高すぎると、ちょっと無理かもしれません』とだけ返信され、だからどうしたいのかが分からない。なんでこういう時に普段のストレートなコミュニケーション法を取らないんだ?と思いながら、私もどうしようもないので『じゃあ、とりあえず放っておきますね。あまり役に立てなくてスミマセン。』と返信しておいた。すると、お礼を頂いた後に『来週火曜日にその友人がシンガポールに来るので、数日か一週間くらい滞在できる場所を探さないといけない』とテキストされる。「???」ちょっと私には理解できない。私にこれ以上何をしてほしいのか。日本的なこの”何を言わんとするのか察せよ”というコミュニケーション法をシンガポール人から受けたことがほぼ皆無だったため、また私もダイレクトな「Yes or No」コミュニケーションに慣れてしまい、相手の意図をあれこれ考えて読むのが非常に面倒くさくなってしまった。要望をストレートに言ってくれたらいいのに。結局私がこれ以上できることはないので、こちらからはストレートに(しかし丁寧に)その旨を伝えることにした。

(直球は気持ちよい)

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もしかしたら、うちにその中国人の友人を泊めてくれないかという意図だったのかもしれない。そうだとすると、正直私には関係がない・・・。その中国人は見ず知らずの人であり私の友人ではない。何か助けられればよかったけれど、助ける義理も見当たらない。(あぁ、これこそ日本人的な考え方!)中国の文化では友達の友達の友達は自分の友達的な、他人を身内のように助ける範囲が広いことは知っている。そして今回もその一部だということは理解している。しかしいくら文化の違いを理解はしても、私はどこまでも日本人である。無理をして相手の文化に従う必要はないのだ。無理なものは無理と言えばいいし、それで親交が途絶えるのならきっと本物じゃなかったのだろう。他人のために無理をして自分を変える必要はない。どこにいても誰と付き合っていても相手を尊重はしても、『自分は自分』というぶれない軸を持つことも異文化交流(いや、日本人同士でも同じか)に必要なことなのだと思う。でないと身がもたん・・・。

今回のおかげで、久々に香港に引っ越した友人とコンタクトが取れてよかったけれど、確か彼女にも昔似たようなことで驚かされたっけ。二回しか会ったことのない私に、自分が働く会社と日系企業とのミーティングの通訳を依頼されたなぁ。しかもその時私は彼女の顔を立てて、できるかどうか分からないがそのミーティングに出たのだ。オーストラリア人の彼女のボスの横にスーツを着て涼しい顔をして座って。でももう無理をしてそんなことはしない。無理をするとその相手と付き合うことに疲れてしまって、逆にいい付き合いにならないから。